書籍「サピエンス全史」「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読んだ

サピエンス全史

夏の読書感想文です。

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を読んだ。
厳密には3年前にも読んでいるので、再読となる。
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史

ただし3年前は、上巻を読んだ後に下巻を読まず投げ出してしまっていた。
今回は下巻も読了するつもりで再読スタート。
本作は近年「地の巨人」として評されている作者の代表作なだけに、がんばって読みたいと思います。

結果的には、今回も上巻で終わった。下巻はパラパラとめくって終了。
上巻は、滅法面白いんですけどね~。下巻がイマイチのめりこめない。

この本では、「なぜホモ・サピエンスが動物界の頂点に立ったか」を題材にしている。
人類が食物連鎖の下位クラスからスタートしつつも、地上で支配的な地位に至るまでの変遷。

答えは、ホモ・サピエンスが共同幻想(虚構)という「認知革命」を礎として、(虚構でもないとまとまらない人数の閾値である)150人以上で一致団結して大型動物をやっつけたり、果てには「貨幣」や「有限責任会社」のような信用経済を発明して交易・政治・宗教を発展させ、「帝国」を含む大規模な社会を構築することができたから。

この過程で、東アフリカから始まったホモ・サピエンスは大陸を移動して地球上に広まっていくにつれ、多くの動物種を絶滅に追い込んでいる。
そうして人類が絶滅に追い込んだ動物のリストが次々と説明されるあたりが、個人的には本作のピークでした。

「うわぁ、こんな動物いたんだぁ・・・でも人類が絶滅させちゃったんだぁ・・・」という動物がたくさんいて、なかなか感慨深かったです。

ついでにホモ・サピエンスは、同じ人類に属する親類のホモ・ネアンデルタールやホモ・ルロルフェンシスなどなども淘汰している。
例えばネコ科には色んな動物がいるが、ヒト科にホモ・サピエンスしかいないのは、我々ホモサピエンスが親族を全部淘汰しちゃったから。

「認知革命」に続く「農業革命」においては、実は「人類は小麦に操られている」のであって、「採取狩猟生活を捨てて農耕生活を始めるメリットは何一つなかった」という小麦陰謀説めいた歴史観も、なかなか面白かった。

ホモ・デウス

サピエンス全史に続く「ホモ・デウス」も読んだ。
地球上の頂点に立ったホモ・サピエンスが、いよいよテクノロジーの力で「神」(デウス)になるのか?という話です。
ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

この本も、なかなか面白かったです。

現在、地上最強の生物となった人類は、動物からみて「既に神」である。
家畜化された豚や牛は、前後左右に一歩も動けないゲージの中で育ち、人間のカロリーとなるために出荷されていく。
そんな非道を人間に対してやることは許されないが、一応動物に対してやるのはOKということで我々人類は線引きをしている。

ところで、人類と動物の違いは何か?
意識は?心は?

人類には「意識」はあるが、どうやら動物にも意識があるようだ。
一方で「心」については、動物についても人類についても、科学的には何も分かっていない。
そんなものは、ないかもしれない。

人間の尊厳たる「自由意志」という観点でいうと、シナプスの電気的な煌めきはアルゴリズムで説明できそうなところまで科学が発展してきており、自由意志もテクニカルな地平で解決できそう。

現代科学は、人間が「自由意志で考えた」と思うことを、人間が自意識する前に脳に埋め込んだ電極からのデータで判定できる。
もっというと体の外、つまり外部にあるデータからも、「この人はこうしそう/こう思っている」をそこそこの精度でクラウドが判定する時代がきている。

人間の意識はアルゴリズムで解釈可能な動きをするので、コンピューターとは相性がいい。
昨今の「何でもSNSにシェアする」という行動は、人間の外側にデータをおいてAIに処理させることができるという意味で、これまたコンピューターと相性がいい。

ということで、ここに及んで人類の意識を拡張するデータが非常に重要になってきており、データ至上主義・データ教が存在感を増してきているのであった。

我々は日々、せっせと自身の感情や周囲の景色の画像をクラウドに吐き出しており、それらのデータは・・・(つづく)

もろもろの話が科学的に詳細検討されており、読み応えがありました。

ほい。

そんな感じ。

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