「あたし彼女」の続編が出ていた。
⇒物議を醸したケータイ小説「あたし彼女」に続編、インスパイアソングも。
なんでまた続編?と思って調べたら、ステファニーさんとのコラボだったらしい。
って、ステファニーさんというアーティスト(?)のことは全然知らんのだが、とにかくそのステファニーさんは「あたし彼女」のインスパイア・ソングを歌っている。そして作者のkikiさんは「あたし彼女」の続編を書いた。そういうコラボ。
で、肝心の続編の方は「野いちご」でも連載されて7/1で完結しているので、早速読んでみた。
感想。
前半は楽しく読めたが後半は飽きてきた。正直前作ほどの新鮮味とか尖がった感じがなかったかな。
前作(の特に前半)は、「調子に乗ってる」感と、「日本語が不自由」な感じの文体とのギャップがギャグとして作用してて面白かった。「付き合ってあげてる、みたいな」。ままならない日本語で上から目線。今回の続編では、文体こそあんまり変わってないんだけど、言ってることがまとも、というか常識人っぽい。そこら辺が前回と違ったかなー、と。
ただ、そういう読み方をするユーザじゃなくて、メイン・ターゲットであろう若い女性(ステファニーさんとか?)だと、やはり響くものがあるということで、「野イチゴ」のランキングではちゃんと上の方に入ってるね。
携帯小説で思い出したが、漱石研究で有名な石原千秋の「ケータイ小説は文学か」を読んだ。
[rakuten:book:12959956:detail]
最近の新書らしくタイトルが煽りっぽいが、内容的にはケータイ小説が文学か否かという点は主題ではない。テクスト論者的にケータイ小説を読むとこーなる、という感じ。そう思って読めば面白い。タイトル買いすると拍子抜けかも。
この本の中で紹介されている、米光一成氏の説が興味深かった。
曰く、ケータイ小説の特徴は改行・短センテンス多いとか悲劇イベント多発とか6つくらいあるけど、本当に新しいのは
「社会的な正しくなさ」(日本語が間違っていたり、表現が稚拙だったり)
という点だけ、という話。
要は、日本語が間違ってたり稚拙だったりジャーゴンに満ちているのが、ケータイ小説の特徴だと。これは、大人の編集〜出版という工程が介在しないことによって成り立つケータイ小説ならではの特徴。
ここら辺については、↓の米光一成氏ブログで読める。
⇒ケータイ小説の新しさと古くささ
↑のブログで、「『短文』はケータイ小説に限らず昔から少女小説でみられた」という話の流れで、1992年の小説の書き出しが紹介されている。
ねえ。
友達にふたごの人いる?
あたし。
立原真帆。
15歳。
目黒にある女子校の。
1年生。
家族構成は。
ママとパパ。
妹の奈美。
そして。
あたし。
以上4人
んー、なんかに似てるな、と思ったら、「あたし彼女」の書き出しと似てる。
アタシ
アキ
歳?
23
まぁ今年で24
彼氏?
まぁ
当たり前に
いる
てか
いない訳ないじゃん
みたいな
彼氏は
普通
てか
アタシが付き合って
あげてる
みたいな
名前、年齢、家族・恋人。
少女小説的な書き出し方なんだろうかね。こういうのは。
あと、さっき気づいたんだが第4回ケータイ小説大賞の詳細が発表されてた。
⇒第4回ケータイ小説大賞
受賞作の発表はまだ先の話だけど、今年はどんなのが出てくるか、ちょっと楽しみ。