「おみくじ」に書かれた和歌を詠んだのは、誰か(宇佐神宮版)

宇佐神宮のおみくじ

「宇佐神宮」は全国に4万社ある「八幡様」の総本宮で、初詣も毎年40万人が訪れるという。
今年の1月中旬に大分旅行に行った際、少し遅めの初詣にて宇佐神宮に参拝してきた。

f:id:tonogata:20190120175550p:plain:w600

中旬とはいえ、たくさんの参拝客と、立ち並ぶ出店。
敷地の端っこでは、「猿回し」のショーまで開催されていた。

数年前には宮司問題でバタバタしていたらしいが、実際に来てみるとやはり大神社。
広い敷地を歩きながら、「立派な神社だなぁ」「雰囲気いいなぁ」と感心しきり。

f:id:tonogata:20190120175816p:plain:w600

賽銭箱に小銭を投げて、地元の人の見よう見まねで「二拝・四拍手・一拝」を済ませる。
天気も良く、新年特有の爽快な気分なり。

早速何か新しいことをやってみたくなり、「よーしオジサン、おみくじ引いちゃうぞー」っと。
普段は引かないおみくじに、手を伸ばしてみた。1回100円。

f:id:tonogata:20190120175831p:plain:w300

紙を開いて読んでみると・・・

結果は第3番「吉」だった。
(ちなみに番号と吉凶は無関係)

f:id:tonogata:20190120175847p:plain:w300

おみくじの「吉」が運勢順的にどの位置に来るかは、神社によって異なる
宇佐神宮の場合は、大吉→吉→中吉→小吉→末吉→後吉の順とのこと。

「吉」は2番目に運勢が良いのである。

ムフ。

ツイてるね♫
ノッてるね♫

フンフン歌いながらおみくじを読んでいると・・・

一番上に記載された「和歌」に目がとまった。

f:id:tonogata:20190120181849p:plain:w300

冬かれて 休みしときに 深山木は花
咲く春の 待たれるかな

これは、誰が詠んだ和歌なんだろうか。


今回はそこら辺を少しだけチェックしたので、メモにて。


おみくじ業者を特定する

和歌の文言をググっても、作者に関する情報はでてこなかった。

しょうがないので、まずは「おみくじの製造業者」を特定することに。
そこから何か辿れるかもしれない。

全国の神社にある「おみくじ」は、約6~7割(5000社寺分)が山口県の「女子道社」によって作られている。

現在、おみくじの7割近くは女子道社(山口県周南市)によって奉製され、
Wikipedia おみくじ

女子道社では全国5000カ所以上の社寺におみくじを納入している
東洋経済オンライン 「おみくじ」の真実をどれだけ知っていますか

「女子道社」のある山口県 周南市 鹿野地区で、主婦の内職で手作りされているらしい。

(女子道社のある)鹿野地区では、おみくじ作りは地元の主婦が家庭で出来る内職として定着している。おみくじは、創業当時と変わらず印刷を除けばすべて手作業。~(中略)~ベテランになると1日約7000枚は折るという。
現代ビジネス 「おみくじ」の秘密〜その起源から大吉と凶の割合、製造元まで

ただ、おみくじ製造の大手業者が分かっても、宇佐神宮のおみくじが「女子道社のおみくじか?」が分からなければ意味がない。
おみくじ自体には、当然ながら製造業者名が書いてない。

その「女子道社」の方はというと、公式HPは存在しない。
そこでコチラをヒントに過去のwebアーカイブを漁ったところ、10年前の「鹿野町商工会」HPに痕跡が残っていた。
「おみくじ作り」は鹿野町で多くの人が関わっているだけに、商工会HPの「観光」コーナーで紹介されていた形(2008年当時)。

鹿野町商工会 おみくじいろいろ(archive)

f:id:tonogata:20190120185951p:plain:w600

表面の書式(1行目:番号)、飾り枠の模様などを、宇佐神宮の「おみくじ」と比べた結果・・・

宇佐神宮のおみくじは、女子道社製「神教みくじ」に近い感じ。

f:id:tonogata:20190120175831p:plain:w300

同一かどうか、他社の製品まではチェックできないので、確信はもてない。
あと、宇佐神宮がオリジナルで作っている可能性もある。

ただまぁ、コレでいいかな、と。

ということで「宇佐神宮のおみくじは、女子道社製のおみくじ」と仮置きした上で・・・

女子道社製おみくじの「和歌」を詠んでいるのは誰なのか?


和歌を詠んだのは、誰か

そもそも「女子道社」は、現在の「おみくじ」のルーツを作った会社でもある。
それ以前は「木版のおみくじ」が大きな神社にあるだけだったのが、「女子道社」によって「紙製の和歌付きおみくじ」が広まった形。

「女子道社」は明治時代に女性の権利運動=神職への女性登用運動をしていた、宮司・宮本重胤氏(二所山田神社)によって設立。
その機関誌「女子道」を発行する資金を捻出すべく、おみくじが考え出されたのだ。
機関誌を刷っていた印刷機を使って、おみくじ印刷。それを各神社に売って、運動の資金捻出。

現在のおみくじのルーツは、明治38年(1905年)に遡る。
二所山田神社21代目宮司・宮本重胤が、当時男性しかなれなかった神職に女性も登用すべきだと訴えて大日本敬神婦人会を設立する。
この運動や機関誌「女子道」を発行する資金を捻出するべく考え出されたのがおみくじなのである。
当時は、大きな神社が作る木版のおみくじしかなかったため、全国の神社に喜んで迎えられた。
東洋経済オンライン 「おみくじ」の真実をどれだけ知っていますか

そして宮本重胤氏が和歌の歌人であった関係から、おみくじにも和歌を入れた。
女子道社製おみくじの和歌は全て、21代目の宮本重胤氏(明星派)と、22代目の清胤氏(アララギ派)が詠んだということらしい。

この和歌は、宮本重胤氏と22代目宮司・清胤氏が「1000年を越える奉仕神社の杜に夜々に潔斎をしてこもりつつ、神前に御祈願をこめ、ご啓示をたまわって書き上げた」そうだ。お二方は、歌人として「抜群の知名度」というわけではないが、じつは「もっとも詠まれている歌人」と言ってもいい。
こうして誕生したおみくじは創設当時から100年も文面やスタイルは変えていない
原版をもとに山口県のとある印刷所の輪転機で印刷され、手作業で折りあげる。
不登校新聞社 知りたかった「おみくじのそこんとこ」

おみくじは「100年も文面やスタイルは変えていない」というのが、「和歌部分」を含むのかはイマイチ不明ではある。

また昔の企業紹介ページ(archive/1997)にも、おみくじの和歌が両人のものであると記載があった。

先々代が明星派の、先代がアララギ派の歌人だったこともあり、両人が和歌を入れたおみくじの運勢文章を書いた。
文章が固いためか、『現代風に表現を変えて欲しい』と要望を出す神社もある。
その一方では、『現代風にしないほうがおみくじらしくていい』という声も多く、文章は昔のままだ。
中四国地域情報センター共同企画(archive)


一方、最近の資料では「おみくじの内容は5年に一度見直される」とあった。
内容が変われば、ついてくる和歌も変わりそうな気がするが、先述の通り和歌は変えてないのかもしれない。

おみくじの内容は1番から50番まであり、五年に一度見直されるそうです。
斎屋と呼ばれる部屋に宮司がこもり、一ヶ月をかけて新たな文面が完成します。
イグルス通信 vol69 「手作り」


おみくじ内容はともかく、「和歌」については変わるのか?変わらないのか?

昔のおみくじの和歌について記載しているページを探したところ、2007年時の情報が見つかった。
女子道社製おみくじの1番から50番までの和歌が記載されており、すごい情報量。
神社と巫女さんとおみくじ。 女子道社おみくじ(御神籤)考察

こちらによると、2007年時の「3番」の和歌は、「大吉 冬かれて 休みしときに 深山木は 花咲く春の 待たれけるかな」。
自分が2019年にひいた3番の和歌と、同じである。

和歌(50種類)については、昔から内容を変えていないようだ。
また同時に、宇佐神宮の「おみくじ」が女子道社製のものである確信もとれた。


ほい。

ということで、宇佐神宮のおみくじ(女子道社製おみくじ)の和歌は、二所山田神社 21代目の宮本重胤氏(明星派)・22代目の清胤氏(アララギ派)によって詠まれたものっぽいな。
昔から、変わっていないんだろう。

たぶん。


そんな感じ。