安部譲二氏が亡くなられた。
急性肺炎、享年82歳。
代表作は小説「塀の中の懲りない面々」。
個人的には漫画原作「RAINBOW-二舎六房の七人-」が思い浮かぶ。
これは面白くて、悲しい漫画だった。2005年に小学館漫画賞を受賞。
絵に描いたように波瀾万丈な経歴を持つ氏。
公式サイトの文章がこれまた面白くて、たまに拝見していた。
その中で、特に興味深いのは氏がJAL客室乗務員(スチュワード)として4年間働いていたという話。
単にJALスチュワードとして社会人をしていたのではない。
同時期に安藤組の構成員でもあり二足のわらじを履いていたという。
つまり暴力団と客室乗務員の共存。
よくよく考えると、とんでもない話だな(笑)、と。
組の事務所で一仕事した後、車で羽田空港に向かう。
羽田の駐車場で、安藤組の「A」のバッジを胸から外し、鶴のマークのJAL社員章をつける。
氏はそういう生活を、4年間続けていたそうだ。
バッジ云々のディテールはホントかどうか怪しいが、話としては面白い。
わたしの失敗 1: 著名人の体験 – 産経新聞文化部 – Google ブックス
国際線のスチュワードとして働く期間も、その得意な経歴というか経験を活かし、賭け事でパイロット・スチュワーデスから金を巻き上げて、よろしくやっていた模様。
大人げないオトナ バンコック
そんなJALスチュワードとしての生活は、最終的に色々バレてクビになる形で終止符。
乗客を殴るトラブルをきっかけに、前科3犯・執行猶予中であることがJALにバレて、クビになったそうだ。
まだコンピューターもない時代、履歴書を嘘で固めても入社時にはバレなかったそうだが・・・
ずいぶん長閑な時代だよなぁ、と羨ましくもあり。
とはいえ、当時もJAL客室乗務員の採用試験は難しく、合格者は7500人中のたった15人。
氏はイギリスに留学経験があって英語が話せたので、採用試験も通過できたんだろう、と。
履歴書だけみれば、麻布中出身(元総理の橋本龍太郎と同級生)で帰国子女という高スペック。
ちなみにホテルニューオータニの採用にも受かったそうだが、給料面を考えてJALを選択したとのこと。
19歳で懲役2年6ヵ月、執行猶予5年!波乱万丈すぎる男の生き様
そんな一風変わった「やんちゃなスチュワード=安部譲二」をモデルにして、交友のあった三島由紀夫が小説「複雑な彼」を書いている。
当方は読んだことはないが、これも国際線のスチュワードがやんちゃなことをする話らしい。
のちに氏が「塀の中の懲りない面々」で小説家としてデビューする際、その「複雑な彼」の主人公の名前「譲二」を逆輸入?し、ペンネームを「安部譲二」にした。
経歴の登場人物が、いちいちデッカいですね。三島由紀夫とか・・・。
そんな安部譲二氏。
公式サイトで「いろいろやったが、本当になりたくてなったのはJALスチュワードくらい」というようなことを書いている。
大人げないオトナ 本当になりたかったもの
JALスチュワード時代、楽しかったんだろうなぁ、と。
当時の制服を着た氏の写真を、眺めながら。
大人げないオトナ パリの怪しい日本人