海がないラオスの秘境ビーチ「シーパンドン」(四千の島々)
海がないラオスのビーチ
最近はコロナの影響で海外旅行も叶わず、昔行ったビーチのことをアレコレ思い出しては、写真を引っ張り出して眺めていたりする。
それで思い出したのが、10年以上前に行ったラオスの秘境ビーチ。
ラオスは海がない国ではあるが、そんなラオスにもビーチがあるという話をきいて、長距離バスを乗り継いで12時間、その秘境ビーチに向かったというワケ。
場所はラオス南部の「シーパンドン」で、現地語で「四千の島々」という意味である。
幅広いメコン川に、多くの中州(島)が集まっている地域があり、その島の中にはビーチがあるという。

↑地図のメコン川の川幅は14kmもあり、その中には多くの島々が存在している。
ちょっと日本では考えられないスケールの川幅表現で、「さすがメコン川」といったところだが、たぶん中洲の島は四千もないと思う。
いずれにせよ、とにかくここら辺をシーパンドン(四千の島々)と言うわけですね。
このシーパンドンは、今ではかなり有名な観光地になっている。
10年以上前の当時はさほど情報がなく、ただ「ラオスのシーパンドンはビーチがあるぞ」というテキストのクチコミをネットで見つけたのみだった。
写真もなくイメージが湧かなかったが、色んなビーチリゾートに行ってみたかった当方は、「行ってみるか」と長距離バスに乗り込んだというワケ。
バンコクからバンビエン、そしてバンビエンからシーパンドンへ。
バンビエンからシーパンドンへの長距離バスは12時間の行程である。
道路の舗装状態が良くないエリアもあったし、12時間の寝台バス。
めっちゃキツかったよね・・・。
ようやくメコン川につくと、船着き場からボートに乗り込む。

自分が最初に向かったのは、安めの宿が多いバックパッカー向けのデット島。
ボートから中州にある家々を眺めながら、デット島に向かったのであった。

デット島の楽園ビーチで寛ぐ
デット島は周囲5kmほどの小さな島。
内陸には田んぼもあり、牛・水牛・鶏が放し飼い。
のんびりとした島だった。
まったり川沿いを散歩するのが楽しい。

マンゴーが生る季節だったので、5分に1個くらいのペースでポコポコとマンゴーが落ちてくる。
島民に勧められて拾い食いしてみると、すごくおいしかったのを記憶している。
このデット島には、小さなビーチがあった。
サンセットの時間帯、夕陽を眺めてビーチで寛ぐ観光客の姿が・・・

この写真だけみると、完璧にビーチですね。
メコン川なんだけど。

ビーチのカフェでビールを飲みながら、サンセットを眺める。
まぁ、これはマッタリできましたよねぇ。。。

本当に、居心地の良い島でした。
ただ、惜しむらくは暑すぎた。
デット島は当時、電気がなかったんですよね。
つまり、エアコンなし。
デット島で泊まっていた1泊300円の宿(Mr Vong’s GH)を出て、最大の島コーン島へボートで移動。
コーン島では1泊1500円の宿をとり、無事エアコン付きの部屋を確保したのであった。
まとめ
残念ながらあまり写真を撮らなかったので、当時の風景があまり残っていない。
しかし、島の居心地は最高に良かった。
最近の写真をネットで探すと、シーパンドンも当時より観光地化が一層進んで、発展した模様。
当時から観光地ではあったけど、お店とか、エアコンとか、ネットとか、どんどん便利になってるだろうから、もう一度行ってみたい。
あの素朴な島の感じも残っていればなぁ、とも思うけど。

ほい。
そんな感じ。




ラオスは今から15年~20年ぐらい前に何回か行きました。ノンカイ国境からビエンチャン、ウボンラチャタニからパクセー。ナコンパトムからは渡るのは渡れましたが、入管がないので外国人(ナコンパトム市民以外のタイ人含む)は密入国扱いになってしまい、今はどうか知りませんが、厳密には入国不可でした。ただ、タイ語が話せれば少々怪しいタイ語でもハーフだとかなんとか言えば普通にのせてわたってくれた記憶があります。
記念に銀行口座なんかも作りましたね。たぶん労働許可証とかないとだめだったんだと思いますが、店をやろうと思っているので口座が必要だとかなんとか言えば作ってもらえました。ただ現地通貨キップはかなりのインフレで、かつ、まだまだ貨幣経済が浸透しておらず店がほとんどなかったと記憶しています。バーツの方が使えたりとか。
ルアンパバーンまでビエンチャンから行くにはバスしかなかったんですが、途中山賊が出るとかでないとか、そういう話をよく聞きました。パクセーに行ったときは国道でさえ舗装されていないことにびっくりしました。私の幼少期の原風景でさえ、国道が未舗装だったことはありません。
今は全く知りませんが、当時ビエンチャンはODAで支給された日本の路線バスのお古がいっぱい走っていて、それなりに役に立っているのだなぁと感心した記憶があります。しかし、どこに行くにも交通機関というものはかなり脆弱で苦労しました。結局タクシーチャーターみたいな。
当時からタイからの文化侵略が憂慮されていて、皆かなり大きな衛星アンテナを建ててタイからの放送を観ていたので、若い人ほどタイ語はしゃべれたと記憶しています。そもそもラオスの人たちはイサン人と人種的には似て(同じ?)ましたから、イサン語は皆喋れたのかもしれません。私はイサン語は全くしゃべれないので、彼ら同士が話す言葉ほとんどわかりませんでしたが、私と話すときはタイ語を話してくれたので意思疎通は全く問題なかったと記憶してます。
当時はあてもなくこのような場所をただただ1日の生活費が安いというだけで放浪していた日本人バックパッカーが多かったと思いますが、そういう人種もだいぶ減ったのではないでしょうか?私がタイによく言ってたのは5年ぐらい前までですが、バンコクでさえ、若い日本人(男女とも)をほとんど見なくなってました。
今はさすがになくなったのかもしれませんが、ビエンチャン一高級なホテル(外資系)にはカジノがあり、金持ちの中国人とタイ人(またはタイ人華僑)が結構いた記憶があります。ただ、ラスベガスとかシンガポールのカジノとは全然雰囲気が違ってどちらかと仁侠映画の博打場みたいな雰囲気でしたけど。そのころはタイの地方都市でも高級ホテルの地下一階には必ずと言っていいほどソープランドがあり、街の観光案内所でさえ、ソープランドの場所がちゃんと載ってましたから、そういう時代だったのだと思います。
ラオスと聞いて急に取り留めなくいろいろ思い出してしまいました。。。
どもども。
> ノンカイ国境からビエンチャン
バンコクから鉄道でノンカイ国境行きましたが、鉄道、良かったです。
昔ながらの寝台列車旅といった感じで。
> 銀行口座
すごいですね。ラオスに銀行口座をお持ちとは(笑)
自分が行った際も、街に両替屋が少ない?ので銀行でお金を両替した記憶。
> パクセーに行ったときは国道でさえ
パクセーまでなら、自分がシーパンドンにいった際とルート的には同じだと思いますが、自分も「山賊が出る」という噂だけは聞いて、ちょっとびびってました。
結果的には悪路の方でまいりましたが。
> 日本人バックパッカー
バックパック旅行というもの自体が、少なくなってきてますね。
旅行スタイルの変化というか。
> カジノ
それは知らなかったです。
ビエンチャンは着いた初日に「ちっちゃ!!」と感動?した覚えが。