江戸時代に創業、憧れの老舗旅館「ふなや」(愛媛)。漱石や子規が詠んだ道後温泉と千坪の庭園、瀬戸内会席料理。

愛媛といえば道後温泉。

そんな道後温泉で、「いつか泊まりたいな」と思っていた旅館が、「ふなや」。


道後温泉 ふなや

道後温泉 ふなや
★文人ゆかりの宿・道後一の老舗★ 日本庭園には、自然の川が流れ四季折々の風情がお楽しみいただけます。


創業から380年くらい経ってる超老舗。

歴史がハンパない。


漱石や子規、虛子などとも所縁があるほか、昭和天皇のお泊まりになった部屋が再現されて展示室にもなってたりする。

建物の入り口には、漱石が「ふなや」を謳った俳句の石碑があった。


「はじめての ふなや泊りを しぐれけり」(夏目漱石)

夏目漱石が松山中学校の英語教師として赴任中、かねてから楽しみにしていた鮒屋旅館(現在のふなや)に宿泊した。

その喜びを素直に表現した句。

http://iyokannet.jp/ginkou/spot/detail/kuhi_id/566


漱石や子規が句に詠んだ老舗旅館に、いつか泊まってみたいなぁ。

と思いつつ、なかなか機会を得なかった。

今回、「親をつれて温泉でも」と思った際に、思い出して予約。


大正解だった。

温泉も、料理も、接客も、素晴らしい。

ここは、親を連れて行くには、いい宿。


個人的には、憧れの旅館に泊まれて大満足。


泊まった際の、メモにて。



以下。

部屋の様子(12畳+5畳)



部屋は、「2間続き和室【12畳+5畳】」で予約した。

(5畳側から撮っている写真)



旅館には、温泉の大浴場がある。

しかし、部屋についてる風呂も豪勢でびっくり。



窓の外にそこそこの広さのテラス(椅子などはナシ)

遠くに松山城が見えた。



とにかく、部屋が広くて良かったなぁ。

自分は旅行だと、3畳くらいの極狭ルームとかドミトリーも好きでたまに使うけど。

今回は親を連れて行く手前、広めが良かったのよね。

温泉と庭園



風呂は、2Fの受付フロアから階段で1Fに降りて、南館に向かう。

この途中で通るのが、庭園を見下ろす渡り廊下の「もみじ橋」。



庭園内には渓流が流れ、橋もかかり、秋には紅葉がキレイだそうで。

子規が句を残している。

「亭ところ々 渓に橋ある 紅葉哉」(正岡子規)


「もみじ橋」は、その句から名前をとったとのこと。

(その逆ではない)


風呂の情報はコチラ。

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4F/5Fが風呂で、男女入れ替え制。

檜を使った「檜湯」と、御影石の「御影湯」。


露天風呂は両方にあるが、サイズはやや小さめかな。

しかし内湯は2・3あり、そこそこ広くてゆっくりつかれました。


4Fの休憩室には、無料のお茶など。

ビールは500円。

奥には、庭園「詠風庭」がみえる。



休憩室の本棚には、「坂の上の雲」などがあった。

(NHKのドラマにもなった、松山を舞台にした名作)




風呂上がりの浴衣のまま、ふらっと庭園に出てみることに。



照明がいい雰囲気です。

癒やされます。



思ったより広い。

庭園内には、渓流もあった。



足湯を発見。

(湯が出ているのは12-20時まで)



後で気付いたが、庭園のマップもあった。



この「詠風庭」、昔は「花月亭」の庭園があった場所。

(現在は移転後の「ふなや」の庭園になっている)


以下、子規「散策集」に関する話。

漱石と子規が連れ立って散策し、俳句を詠んでいる。

『明治 28 年 10 月 6 日 今日は日曜なり、天気は快晴なり、病気は軽快なり、遊志勃然、漱石と共に道後に遊ぶ、三層楼中天に聳えて、来浴の旅人ひきもきらず』

二人は、一番町から道後まで開通したばかりの電車に乗り、そこから鷺谷へ向かいました。

今の鷺谷墓地の東側にあった「黄檗宗大禅寺(今は廃寺)」で亡き曾祖母の墓を探しますが見つかりません。

『花芒 墓いずれとも 見定めず』

そこから引き返して鴉渓の花月亭に立寄りました。現在の「ふなや」の庭にあたる場所だそうです。

『亭ところ亭ところ 渓に橋ある 紅葉哉』

http://www.ehime-iinet.or.jp/zaidan/mail/johoehimemerumaga/2009/0906.pdf


道後温泉一帯は「来浴の旅人ひきもきらず」と、当時も賑わっていた様子。

まぁ道後温泉の歴史は3000年とか言われるし、相当昔からある。


また、二人で開通したばかりの電車に乗ったり、子規が曾祖母の墓を探したりしつつ、花月亭に寄っている。

この庭園を散歩していると、なんだか漱石と子規を近くに感じる気がしないでもない。

夕飯(瀬戸内会席)



夕飯は、部屋でいただくことにしました。

※庭園でいただく「川席料理」もある

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メニュー。

仲居さんが順番に料理をもってきてくれました。


  • 食前酒「アイソーレ」
  • ホワイトアスパラ 海老あんかけ
  • 蛸湯引き 梅肉ソース



「アイソーレ」は、愛媛の蔵元「千代の亀」による蜜柑酒だそうです。

愛媛の「愛」とsole(意味:イタリア語で太陽)を併せてi-soleと名付けました。

太陽の恵みいっぱいに育った西予市明浜の温州みかん100%果汁と愛媛の蔵元「千代の亀」の甘口の純米酒をミックスしました。

愛媛がいっぱい詰まった甘口のリキュールです。

http://chiyonokame.shop-pro.jp/?pid=91624465


甘口の蜜柑酒でキュッとやって、準備万端。


  • 汁物(湯葉、玉葱、媛王)
  • 刺身
  • 虎魚(オニオコゼ)煮付、竹の子、桜人参



刺身がやってまいりました。

早速、仲居さんに生ビール(684円)と梅酒(745円)を頼んで、箸を進めます。


「媛王」は、愛媛のブランド「しいたけ」だそうです。

傘の厚み3cm以上、傘の直径5~6cm以上・膜切れが全開のもの

http://www.eh.zennoh.or.jp/ehimenosyoku/com/m07.html


  • メバル春香焼
  • 緋扇貝
  • 松の実
  • ぬた和え



「緋扇貝」(ヒオウギ)って、初めて食べた。

愛媛で生産量が多いらしい。

ナチュラルにカラフルすぎてビビる。



http://suisan059-ehime.jp/detail.php?id=5


個人的にはメバルがヒット。

肉に弾力があり、美味しかったです。


  • 和牛ステーキ



当然うまい、和牛ステーキ。

これくらいのサイズ感だと、逆にうまく感じる不思議。


鮒屋のステーキといえば、高浜虚子の書いた「漱石氏と私」に記載がある。

当時珍しかった西洋料理を、虚子と漱石で食いに行ったという話。

この三十年の帰省の時、私はしばしば漱石氏を訪問して一緒に道後の温泉に行ったり、俳句を作ったりした。

その頃道後の鮒屋(ふなや)で初めて西洋料理を食わすようになったというので、漱石氏はその頃学校の同僚で漱石氏の下もとにあって英語を教えている何とかいう一人の人と私とを伴って鮒屋へ行った。

白い皿の上に載せられて出て来た西洋料理は黒い堅い肉であった。

私はまずいと思って漸く一きれか二きれかを食ったが、漱石氏は忠実にそれを噛かみこなして大概嚥下えんかしてしまった

高浜虚子 漱石氏と私


西洋料理ということで、ビーフステーキ。

虚子は「黒い固い肉」と気に入らなかったようだが、漱石は仏頂面でモグモグと完食。

その絵を想像しただけでウケる。


  • 鯛飯
  • 鰆(サワラ)の唐揚げ、蓮根、タラの芽
  • 味噌汁



出ました、鯛飯。


鯛飯には2種類あって、

  • 鯛の炊き込みご飯
  • ご飯の上に鯛の刺身ぶっかけ

なんだけど、こちらは炊き込みタイプ。



デザートは、無論「愛媛の蜜柑」。

あと、キウィとイチゴがいただけた。


いやー、大満足。

腹いっぱいです。

朝食



夕食時に、仲居さんに朝食の時間をきかれた。

朝風呂の後に食いたかったので、8時にしておいた。


翌朝。



爽やか和食!

最高ですね。

豆腐が美味しかったです。


あと、ふなや朝食で出している「ちりめん」「しその未」などの「ご飯のお供」が、2Fの売店においてあるとのことだった。


宿から徒歩5分の「道後温泉本館」



「ふなや」から徒歩5分で、共同温泉である「道後温泉本館」がある。

http://www.dogo.or.jp/pc/time/




※本館の道を挟んで右手にある階段を上ると全景が撮れる


今回は宿の風呂に入ったので、本館の湯には入らなかった。

しかし周辺に商店街とか売店があるので、浴衣のままフラフラと散歩すると気分が良い。



道後温泉の共同浴場(たぶん)については、虛子の「漱石氏と私」に記載があり、ちょっと面白い。

この鮒屋の西洋料理を食った時に、三人はやはり道後の温泉にも這入った。

着物を脱ぐ時に「赤シャツ」という言葉が漱石氏の口から漏れて両君は笑った

それはこの先生が赤いシャツを着て居ったからであったかどうであったか、はっきり記憶に残って居らん。ただ私が裸になった時に私の猿股にも赤い筋が這入っていたので漱石氏は驚いたような興味のあるような眼をして、「君のも赤いのか。」と言ったことだけは、はっきりと覚えている。

後年『坊っちゃん』の中に赤シャツという言葉の出て来た時にこの時のことを思い合わせた。

高浜虚子 漱石氏と私


漱石の口から「赤シャツ」という言葉がでて、漱石(当時、松山中学の英語教師)と同僚の中村宗太郎(歴史教師)が笑ったという話。

「赤シャツ」と言えば、「坊っちゃん」。

※「坊っちゃん」は虛子の「ホトトギス」から発表されており、漱石は虛子に「松山方言の添削を依頼」している


「坊っちゃん」以前の時点で、なぜ漱石と中村宗太郎が「赤シャツ」という単語を笑ったのかな?


赤シャツ自体はこの時代に「健康に良い」として流行したそうで、「坊っちゃん」の登場人物としての「赤シャツ」についても、以下のようにある。

文学士だけにご苦労千万な服装なりをしたもんだ。

しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿ばかにしている。

あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。

妙な病気があった者だ。

当人の説明では赤は身体からだに薬になるから、衛生のためにわざわざ誂あつらえるんだそうだが、入らざる心配だ

そんならついでに着物も袴はかまも赤にすればいい。

夏目漱石 坊っちゃん


まぁ、「俗説に飛びつく健康オタクを笑った」ということかな。

「坊っちゃん」以前から、漱石はソレを面白くみていたらしい。


漱石が松山中学にいたころ、生徒達が先生にあだ名をつけて数え歌にしていたということで、そこに中村宗太郎(歴史教師)もでてくるが、ちょっとしたイケメンだったらしい。

松山中学には、漱石在職中、教師のあだ名の数え歌がう謡われていました。

一つとや ひとつ弘中シッポクさん 数学弘中又一先生 (坊ちゃん)

二つとや ふたつふくれたブタの腹 英語西川忠太郎先生

三つとや みっつみにくい太田さん 漢学太田厚先生

四つとや よっつ横地のゴートひげ 教頭横地石太郎先生(赤シャツ)

五つとや いつつ色男中村さん 歴史中村宗太郎先生(鈴ちゃん)

六つとや むっつ無理いう伊藤さん 体操伊藤朔太郎先生

七つとや ななつ夏目の鬼瓦 英語夏目漱石先生

八つとや やっつやかしの本吾さん 植物安芸本吾先生

九つとや ここのつこっとり一寸坊 物理中堀貞五郎先生

十とや じゅうでとりこむ寒川さん 会計係寒川朝陽

http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/36.html

※「赤シャツ」など登場人物のモデルには諸説あり、↑が確定ということでもない


「ななつ夏目の鬼瓦」、ね。

漱石は無表情で顔が怖かったんだろうか。

いつの時代も生徒は先生をよく見ている。


長くなった。


ちなみに、宿から徒歩2分で「坊ちゃん」のからくり時計。

そして市内観光に便利な「道後温泉駅」がある。


道後温泉駅からは、機関車仕様の「坊ちゃん電車」。

坊っちゃん列車 | 伊予鉄


また、「ふやな」の裏手には「子規記念博物館」。

子規にまつわる話がいろいろ分かりやすく展示してあるほか、道後温泉の歴史なども。

(蕪村書画もちょっとあり、自分はそれ目当てで行ったんだけど)


子規記念博物館


そんな感じ。


みかんの国、愛媛のホテル「道後やや」(松山)。蛇口を捻ると「みかんジュース」が流れ、全自動「みかんマシーン」がうなりをあげる。


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