「自由の女神」(リバティー島)に行くフェリーチケットには、エリス島「移民博物館」の分も含まれる。
フェリーでの帰り道には、必ずエリス島に一度停泊する。
※青字の線が、自由の女神からエリス島への航路
エリス島には、「移民博物館」がある。
2020年 エリス島 移民博物館へ行く前に!見どころをチェック – トリップアドバイザー
19世紀後半から60年あまりのあいだ、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国した。
移民たちによって『希望の島』(Island of Hope)または『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれてきた。
約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人が、エリス島を通ってきた移民を祖先にもつと言われている
当時は、ジャガイモの飢饉で困窮したアイルランド人、迫害を逃れようとするユダヤ人、革命の混乱から逃げ出してきたドイツ人。
そーゆー人たちが、どんどんアメリカにやってきたそうです。
本に、そう書いてあった。
ただ、エリス島の入国審査。
感染症がみつかったり、お金をもってなかったら?
島内に隔離されて入国を許されなかったそうです。。。
入国審査は、通常は数時間で、姓名や所持金を含む29の質問に答えるだけだったが、感染症の疑いや身元に疑いがある場合などには長期間エリス島に隔離された。
3000人以上の移民がエリス島で抑留中に死亡した。
連邦政府にとって重要なのは、移民がとりあえずやっていけるだけの所持金(概ね18ドルから25ドル)を持参しているかどうかだった。
これは、映画「ゴッドファーザー2」で描かれてましたね。
あの、幼き日のヴィトーが抑留されちゃうシーン。
※1910年の様子
Second Floor – Ellis Island Part of Statue of Liberty National Monument (U.S. National Park Service)
※現在の様子
この「移民博物館」では、当時の移民が受けた検査などが、順番に解説・展示されている。
かなり詳細に当時の状況が解説されていて、面白かった。
希望をもってアメリカにやってきた移民たちの、人生を左右する瞬間。
アメリカが多くの移民を受け入れて、現在の巨大な国家に成長する、その創生期の瞬間。
具体的な、事務手続きや運用は、どうなっていたのか?
そーゆーのが、面白いんですよね。
さて。
まずは、フェリーを下りた、入口。
中に入ったら、右側にオーディオガイドがある。
無料、日本語の音声あり。
このオーディオガイドは、借りた方がいいかと思います。
英語ができる人は別だけど、そうでない場合はコレがないと、フワッと見学するだけで終わってしまう可能性あり。
展示物は、残念ながらちょっとしか写真を撮らなかった。
展示はたくさんあったんだけど、一例として、、、
入国管理でやりとりされた質問内容。
実際に、審査を受けた人へのインタビュー。
トラコーマを検査した器具、診察の方法。
検査をパスしなかった人がどうなったか?
出身国の通貨を、米ドルに交換する際の話。
それを使って、最初に島内で買えた食料品のリストや価格。
また、審査を終えた人が、電車に乗ってアメリカ中に散らばっていく際の、電車の話。
etc,etc・・・。
音声ガイドは、当時の人々の状況や心理状態を、いろいろ解説してくれる。
「自由の女神」もそうだったけど、アメリカは本当に良いオーディオガイドを作るなぁ、と感心しきり。
以下、ちょっとだけ写真。
当時の移民の様子が写真で飾ってありました。
移民達が使っていた荷物ケースが、ドカッと展示してあります。
当時の名簿があった。
これは、船の乗客名簿で、そのまま入国審査で使われたらしい。
サンプルをみると、イタリア人のが多かった。
国籍とか、名前や年齢が書いてあります。
柱には、当時の落書きがそのまま残ってました。
展示物として、残しているようです。
なんでしょうね。
怖いんですけど。
ちなみに、移民の歴史とか背景については、下記とかが分かりやすかった。
やっぱ池上さんは、本まで分かりやすいのね。
読みやすく、面白いです。
アメリカの歴史って、実は全然知らなかったな、と。
そう思いました。